最後まで豊かに生きるには?~七夕の夜、天に召された患者さんの話~

※本記事は、筆者が主治医として関わるなかで、学び共感した価値観や人生観について記したものです。

先日、私が主治医を務めた患者さんのご家族からお手紙をいただきました。

彼女の人生の最後に学ぶべき教訓が詰まった一例でしたので、今回はそのエピソードをご紹介したいと思います。

Fさんとの出会い

その患者さん(以下、Fさん)と出会ったのは、彼女が80歳代後半の頃でした。

別の病院で原因不明の発熱が続いていたため、詳しい検査のため当院に紹介されました。

前の病院の先生の見立て通り、私たちの専門分野の疾患が原因であり、幸い診断と治療はスムーズに進みました。

そして、Fさんはリハビリテーションを経て自宅へ戻ることができました。

仕事を辞め母の介護に専念した娘

退院後、Fさんの娘がいつも同伴して外来に訪れました。

彼女は母親と暮らすために仕事を辞め、遠方から帰郷してきたと言います。そして、娘さんの家では、写経や死後の世界を考えるなど終活にも取り組んでいるとのことでした。

家での生活の話を聞き、親身に寄り添ってくれるいい娘さんをお持ちだな~と感心した覚えがあります。

亡くなる前日まで庭の草抜きに

その後、外来診療を中心に7年間ほどFさんを担当させていただきました。

一時的な入院が必要なこともありましたが幸い病状の悪化は大きくなく、病状が安定しているときは年4~5回の診察でした。

最近では、慣れ親しんだ実家で息子さんと暮らされているようでした。

今年の7月、Fさんは亡くなる数日前に熱中症になり自宅で点滴を受けていました。体調は上下しましたが、亡くなる前日には庭の草抜きができるほどによくなっていたそうでした。

死ぬ間際まで草抜きに精を出すとは、勤労な方です。

最終的に、七夕の夜に急な病状の悪化をきたし救急車で搬送されるも、その後心肺停止となりました。死因は腸管壊死だったようで、急な病状悪化は避けられなかったと思われます。

家族葬では、バイオリニストの孫の演奏のもと、Fさんゆかりの曲「牧場の朝」を親族みんなで合唱し見送ったとのことでした。

人生の終盤においても3つの資本が重要

さて、ここまでFさんの最期についてご紹介しました。

ご家族のお手紙からは、実親を亡くした子の悲しみや苦悩が伝わってきました。

一方で、私はFさんの最期のエピソードに大きな豊かさを感じました。

一般に、人生を豊かに生きるには3つの資本が重要と言われますね。

すなわち、人的資本社会資本金融資本です。

もっと簡単に言えば、こうです。

  • 人的資本=付加価値を生み出す知識やスキル
  • 社会資本=自分を慕い助けてくれる人
  • 金融資本=貯金や資産

人生の終盤にあっても、それは同じだと思います。

人的資本は若いときほどには求められないかもしれませんが、老年期においても社会に対し付加価値を提供できるスキルを持つことは大切です。

それは、庭の草抜きでもいいですし、おばあちゃんの知恵袋でもいいのです。

何かしらのスキルがあれば、自身のアイデンティティと自己肯定感を保つ手段になります。

社会資本は現役時代よりも重要になるでしょう。

なぜなら、歳を重ねるにつれ一人でできることが限られ、他人の助けが必要になるからです。このとき、過去に積み重ねた社会的なつながりやサポートが役立ちます

Fさんは母親思いの素晴らしいお子さんをお持ちでした。
つまり、社会資本が豊富だったと言えるでしょう。

金融資本についてはあまり触れませんが、日本の手厚い社会保障によって老後を送ることができることは幸運です。

Fさんに当初行った治療は薬代だけで軽く100万円を超えるものでしたが、Fさんの実質的な負担は月数万円程度だったのではないかと思います。

お金がないとベストな治療は受けられない。お金があってもベストな治療は受けられない。こういう国は少なくありません。改めて日本の社会保障制度のありがたさを認識したいものです。

物事の評価はその最後に大きく影響される

最後に、ご家族からいただいたお手紙にも示唆に富むお言葉があったので、一部を抜粋してご紹介したいと思います。

私(Fさんの娘)にとって、母と過ごした地元での3年間、又、諸事情により、再び実家に戻った母と、

週に1度▲▲の森で私の手作りのランチを、緑の風に吹かれ、春にはうぐいす、初夏にはほととぎすの声に聞きほれ、カエルやたまにカラスの声、小さな虫たち、足元に咲く小さな花、桜吹雪、冬の寒さの中でも必ず二人で公園でランチタイム…

至福の時空でした。私の宝となりました。

こういった何気ない日常のひとときや身の回りの自然の景色というのは、忙しい日々では気にもとめない些細なことです。

しかし、日々の喧騒から離れてみると、意外と私たちの身の回りには美しいものや豊かなものがあふれているのだということに気づかされますね。

ときに、こういった経験は大変貴重なものです。

先生のおかげで母は毎日こんなにも明るく元気にいきいきと人生をまっとうすることができたと本当にただただありがたさで一杯です。

”どう生ききって、どう死ぬか”

母の姿を通して、私にも刻々と迫るテーマだと実感する日々です。

この方は、母親の死を通じて自分の死にも思いをはせられているようですね。

死と聞けば、怖いもの、考えたくもないものと思われる方が多いでしょう。

しかし、死はいつか必ず訪れるものであり、人生のフィナーレです。

ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンらは、こう指摘しています。

ある出来事に対する人の評価は、その出来事における最悪の経験と最終の経験に大きく左右される場合が多い。

これを人の人生にも当てはめるとすれば、自分の人生がどうであったかは晩年の経験によって決まると言えるかもしれません。

だとすれば、自分の最晩年をどう過ごしたいか、さらには死をどのように迎えたいか、ということに思いをはせるのも悪くはないと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。みなさまの人生が彩りあるものになりますように。

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【注意】本記事の内容は個別の症例に基づく個人の意見であり、全ての場合で同様の経過をたどるわけではなく、一般論を示すものでもありません。個々の治療方針については主治医とご相談いただくようお願いします。本記事掲載については患者家族の同意を得ていますが、個人情報保護の観点から個人を特定するような行為はくれぐれもご遠慮ください。また、患者家族への配慮から批判的なコメントは掲載承認できない可能性があります。

5 COMMENTS

匿名

世間で一般的に騒がれている老後の厳しい様子と違い、ほのぼのとのどかな情愛に溢れた親子の姿ですね。

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るろうに健心

コメントいただきありがとうございます!
ご家族には色々な葛藤や苦労もあったのでしょうが、外来受診の際、ご本人はいつも穏やかな表情をされており、
最期~死後の経過も含め、このような晩年を過ごせるといいなと感じた一例でした。

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西村洋子

コスモスが陽光に輝く季節になりました。

母が他界した事を年末に「喪中につき、、」伝伝と葉書きを出すのに心情的に私にはどうしても抵抗があり、どうしたものかと思案していました。

年末になると、毎年2〜3枚は私の所にもそういう葉書きが届きます。そのやや薄暗い色の葉書きを目にする度に「ああ、どなたかがお亡くなりになられた、、」と、いつも胸がつぶれるような感覚に見舞われるからです。

何か他のさり気なくお知らせする方法はないものか?

今日、突然に閃きました。

それは先生のブログの記事をお知らせしたら、、どうかと。
全員に書く訳ではありませんが、今日12人程に葉書きをしたためました。

ブログ名、URL、対象記事などを記載。
相手の方は皆んな私からブログ?と驚かれるでしょうが、母と私の状況が伝わり、一人の人間の死と言う厳然たる事実にもかかわらず、やんわりと相手にお伝えできるような気がして。

先生に感謝です。思わぬ所で救われました!
        合掌

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るろうに健心

西村様

小生のブログをお知り合いの方にご紹介いただいたとのこと、大変光栄に思います。
拙いものですが、お役に立てたのなら私としてもうれしい限りです。
こちらこそありがとうございます。

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西村洋子

先程、友人よりのメールが。

「すごく温かい、素敵なブログですね。
お母さんと、主治医の先生とにっしん(私はかってある職場で皆んなにそう呼ばれていました)の信頼感がひしひしと伝わってきました。
ありがとう。
落ちついたら会いたいね。」

母の他界後、身内以外とはまだ誰ともお会いする元気がなかったのですが、
彼女とコスモスを一緒に眺めながら、語り合う気力がやっと出て来ました。 💮

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