本記事は、筆者が学び共感した価値観や人生観について記したものです。
今回ご紹介するのは、最近ネット上のコミュニティで交流のあるNさんのお話。
Nさんは幼くして妹を亡くしました。
妹さんの死の衝撃は、その後のNさんの人生を揺るがすほどでした。
長く妹の死を背負って生き続けたNさん。
多くの苦悩や葛藤を乗り越え、最近人生における大きな幸せをつかみ取ったようです。
今は毎日が楽しく幸せいっぱいです!
そう言い切るNさんですが、その背景には、妹の死がもたらした当たり前の日常に対する感謝がありました。
幼くして妹を失った悲しみ
Nさんが死体となった妹の姿を目の当たりにしたのは、7歳のとき。
まさにこれから自我を形成していこうという矢先のこと。
まだ「死」の概念すら理解していなかったかもしれません。
昨日までニコニコ笑っていた妹が、ある日突然、二度と帰らぬ遺体となって自分の目の前に現れたのです。
これはどれほどの恐怖だったでしょう。
人は死ぬと、もう二度とこの世には帰ってはこない。
昨日まで見せてくれた無邪気な笑顔も、たわいない会話も、はたまた姉妹げんかも全て、あるときを境に二度とそれらを見ることはできなくなってしまったのです。
妹の死を背負い生き抜いた人生
妹は死んだのに、私は生きている。
妹は本来経験するはずだった幾多の喜怒哀楽を知ることなく、この世を去ってしまった。妹は生きていたらどのような人生を歩んだのだろう。
こんなことがあっていいのだろうか。
「妹は死んだ」という事実を理解したとき、Nさんは自分が生きていることに対し大きな葛藤を抱くこととなったといいます。
Nさんは大人になった後も、幾度となく妹の遺体を目の当たりにしたフラッシュバックに悩まされました。
そして、普通の人とは少し違った人生を歩んでこられたようです。
愛する伴侶を得て、より強く意識するようになった「当たり前の幸せ」
Nさんは最近ご結婚されました。
毎日欠かさず夫に対し愛情を示しているようです。
なんだよ。ただの幸せな新婚生活じゃないか。
そう思われるかもしれませんね。
しかし、私には、Nさんの幸せの感じ方が普通とは少し違うように思えました。
Nさんは愛する伴侶にめぐり会えたことのみならず、
愛する伴侶とともにいられること自体に強く感謝されているようでした。
何気ない日々の時間を大事な人とともにすること、それこそが幸せだと。
そして、そう考える背景には妹の死により苦しんだ過去が影響しているものとお見受けしました。
死は生を強調する
家族、親戚、友人、職場の上司や部下など、人は色々な人と関わりながら生きていきます。
一方で、日々時間に追われ、雑踏に揉まれ、何も意識することなく周囲の人と交わり生きていると、その日常を特別なものとは思わなくなり、大事な人と出会ったときに感じたありがたみは日に日に薄れていってしまいます。
そんな中で、「死」は突然やってきます。
大事な人との日々は、ある日何の前ぶれもなく断ち切られてしまうのです。
そして、人は死を目の前にして初めて、それまで当たり前のように続いていた日常のありがたさを思い知ります。
このように、「死」を経験した人は、それが大事な人の死であればあるほど、今この瞬間は永遠に続くものではなくいつか終わりを告げるものだと心得ています。
つまり、「死」を知ることで「生」のありがたさを知るのです。
終わりを意識すれば、1日1日を大切に生きられる
日本では、死について話すことははばかられますね。
確かに、自分を含めた誰かの死は、想像したくもない恐ろしいものです。
とはいえ、生きとし生けるものにはいつの日か必ず死が訪れるのもまた事実。
それは遠い未来の話に見えて、実はすぐ近い将来のことかもしれません。
自分がいつ死ぬかなど、神のみぞ知ること。そんなことを考えても仕方ないようにも思えます。
しかし、「死」を意識することには大きなメリットがあります。
それは、自分の死を強く想像すると、自ずと死という終わりに向けて自分はどのような人生を歩みたいのかということに目が向くということです。
この視点を得た人は、何気ない日常や何気ない大事な人とのひとときにありがたさを感じることができ、平時からそれらを大切にすることができるでしょう。(逆に言えば、多くの人が当たり前の日常のありがたさを見落とし生きていると言えます。)
「死」は「生」を強調します。
「死」を意識することができれば、これまで見過ごされてきた「生」のありがたさが照らし出されることでしょう。
むやみに死を恐れたり、死から目を背けるのではなく、自分の人生を照らす灯りとして「死」を意識してみたいものです。
そして、いつか来る自分の最期に「いい人生だった。」と笑えるよう、
1日1日を大切に、そして丁寧に生きていきたいものですね。
謝辞
自身の人生を揺るがすほどの心の傷は、普通他人には明かしたくない最重要機密事項です。そんな大事な話を直接会ったこともない私に教えてくれたNさんに、心から感謝を申し上げます。
末筆ながら、尊敬の意を表してNさんからいただいたメッセージをそのまま引用し、Nさんと周囲の方々のご多幸が永く続きますようお祈り申し上げます。
(以下Nさんのコメントより抜粋)
『死は生を強調しますね。終わりを意識するからこそ今を大切にできる、とも言えるでしょうか。』この部分、とても心に沁みます🤣 と同時にこの事を強く感じた想い出が蘇ります。
生きていく過程で、多くの人達が経験する予期せぬ死、私が人生で初めて直面したのは自分が7歳の時でした。病弱な妹の遺体の第一発見者になり、『生きる事』『生き抜く事』『生き方』、〝生〟についてもがき苦しみながら考える日々が続きました。昨日までニコニコ笑顔で無邪気に遊んでいた娘が翌日には帰らぬ人になってしまった哀しみ。どう癒してあげたら良いのだろう、泣き崩れる両親を前に言葉を失い立ちすくむ事しか出来ませんでした。
あれから40年という歳月が過ぎ、心穏やかに幸せに生き抜いてきた両親に喜びと感謝。そして、ヤンチャに生きてきて、沢山の人達に迷惑をかけてきたけど、まわりくねった先に最高の幸せ(心優しく寛容な主人と出逢い、良き伴侶に恵まれた事)を見つけれた自分に「頑張って生き抜いて良かったね」と褒めたいです。
今ある幸せを当たり前と思わずに日々大切に生きていきたい。愛する人達には毎日感謝の気持ち、愛する気持ちを伝えてます。だから、もし今愛する人を失っても後悔はありません。今この瞬間が最後だと思いながら毎日生きてるから。
妹の死から20年以上、フラッシュバックに悩まされ、長い間普通の人生を生きる事が出来ませんでした。だから、人生の折り返し地点からは心穏やかに楽しく幸せに暮らしたいという想いが誰よりかも強くなったのかも😅
20年以上前に経営者のお友達に『どういう最期を迎えたいか』その理想の最期から逆算して今をそして今からを生きてみたらと言われた事がありました。お金はあるにこしたことはない。稼ぐ力は身に付けている方が断然良いと思う。ただ、心からの安らぎや幸せはお金では満たされない、6,000万円以上無駄遣いして感じました。働く事に楽しみを感じて生きる人生も最高だと思う。またスローライフを満喫して生きていく人生も最高だと思う。相田みつをさんの『しあわせはいつもじぶんのこころがきめる』私の人生哲学。
FIREする人しない人、目指す人目指さない人、全ての人達に幸せな人生を🍀
最後までお読みいただきありがとうございます。みなさまの人生が彩りあるものになりますように。
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