最期まで自宅で

本記事は、筆者が主治医として関わるなかで、学び共感した価値観や人生観について記したものである。

今回お話をうかがったのは、60歳代女性のBさん。 長く看護師として地域医療に貢献してきた。難病を発症し、お会いして1年とたたないうちに病状はみるみる悪化した。死を覚悟したBさんが最期に望んだものとは何か。

孤独なコロナ禍の入院

Bさんの病気は悪化する一途であった。はじめは下痢が続くぐらいであったが、そのうちに食べても吐くようになり、ゼリーを食べるのがやっとになった。最終的に食事をとるのをやめ、毎日首に入れた管から点滴を受けるようになった。

普通にご飯を食べるのに比べると、点滴での栄養には限界がある。徐々に体はやせていき、免疫力も落ちて肺炎を起こし、入退院を繰り返すようになった。

看護師さんはみなさん忙しそうで、入院中に話すことといえば、挨拶と業務連絡くらいでした。おまけにコロナのせいで面会もできないでしょ。そりゃあ、どれだけ孤独だったか。それでも、昔一緒に働いていた先生がいらっしゃって、色々面倒をみてもらえたのがうれしかったです。

コロナ禍の入院は孤独だ。院内感染防止のため、基本的に家族の面会はできない。もともと多忙な看護師も医師も、コロナ患者さんの診療も重なりさらに多忙となっている。残念ながら、ゆっくりお話しを聞く時間はない。他人を気づかい、同業で内部事情を知るBさんにとっては、自身の苦悩を打ち明けることは容易でなかっただろう。

新型コロナウイルス感染症発生から2年たった今でこそ、オンライン面会や電話もできるようになったが、コロナ禍当初は、意識がなくなり死ぬ間際まで家族と会えない、なんてこともよくあった。治療を受ける側も、提供する側も、お互いに心が痛む時代である。

死ぬまでもう入院しない

孤独な入院治療を経て、Bさんは自宅で最期を迎えることにした。娘さんが看護師だったので、幸い自宅療養の準備はスムーズに進んだ。近くの顔なじみの先生にも往診してもらえることになった。

病院と異なり、医療資源が限られた自宅で療養を続けることには、訪問診療・訪問看護の態勢を整えることのみならず、介護を含めた様々な工夫と家族の主体的な協力が必要不可欠だ。病気の苦しみや死の恐怖をともに受入れ寄り添う家族の精神的負担も計り知れない。

それでもBさんは、死ぬまでもう入院しないと決めた

多くの優しさに囲まれて

私がBさん宅を訪問したとき、Bさんはすでに座っているのがやっとの状態であった。けなげなBさんは不手際を見せまいと取りつくろっていたが、30分も話していると表情には苦悶がにじんでいた。

かたや、Bさんのまわりにはお孫さんのはしゃぐ声や走り回る音があふれていた。子供は無邪気だ。死が差し迫っているBさんの胸中などおかまいなしで遊んでいる。

窓から入ってくる風で部屋の空気はすがすがしい。鳥のさえずりも聞こえる。少し外をのぞけば、近くの山々には美しい木々の新緑が広がっている。新しいご自宅は、木目調でやすらかな雰囲気に包まれていた。献身的な娘さんが在宅治療を支え、往診の先生も来てくれる。ときには知人も訪ねてくるようだ。

これならばきっと、Bさんは穏やかな最期を迎えられるだろうと確信した。はっきり言って、このような環境は病院ではなしえないものだ。Bさんが最期をどのように過ごしたいと思っているか、その意志がはっきりと伝わってくるようであった。

最期もまた人生

誰しも健康で長生きしたいと思うものだが、人間皆いつかは死ぬときが来る。最期を考えるなど恐怖でしかないと思われるかもしれないが、それもまた人生の一部。最期をどう過ごすのか、自分の考えに基づき自分で決められたら幸せだろうと感じた。

Bさんへのインタビュー記事の続きはこちら

与えよ、さらば与えられん

最後までお読みいただきありがとうございます。みなさまの人生が彩りあるものになりますように。

【注意】本記事の内容は個別の症例に基づく個人の意見であり、全ての場合で同様の経過をたどるわけではなく、一般論を示すものでもありません。個々の治療方針については主治医とご相談いただくようお願いします。本記事掲載についてはインタビュイーの同意を得ていますが、個人情報保護の観点から個人を特定するような行為はくれぐれも慎んでください。 また、インタビュイーへの配慮から批判的なコメントは掲載承認できない可能性があります。

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