今日のテーマは「怒り」です。
イラっとしたらつい余計な一言を言ってしまい、家族や上司・同僚との関係が悪くなるんです(泣)
こんな方も少なくないのではないでしょうか。
私は比較的感情が穏やかで怒ることが少ない方だと思いますが、それでも過去に怒りのために失言してしまったことが何度かあります。
どうして人は、言うべきではないこととわかっていてもそれを言ってしまうのでしょう?
その理由は、怒りという感情との向き合い方がよくないのだろうと思います。
理不尽なけんかを売られた話
先日私の身に起こったちょっとした災難について聞いてください。
私は趣味で毎週ボウリングをしているのですが、最近通うボウリング場を変えました。
すると、環境の変化もあってか成績がよくなり、新しいボウリング場の大会で連続して優勝することができました。
そんな折、とある常連のおじさまから声をかけられました。
その方は初対面でしたが、いきなり私の肩に肘を置いてきて、低い声でこう言いました。
君、若いのに点数出し過ぎだよ。よく考えてね。
何だこのくそジジイ!初対面でいきなり肩に肘置きやがって。その上、「よく考えろ」だと?お前らは十分ハンデを持っているくせに。こっちはハンデなしで真剣にボウリングをして、それで優勝してるんだ!よく考えた方がいいのは、お前の投球技術だろ。
とまあ、こう怒りたくなる気持ちはよくわかります。
私も少し心拍数が上がり、一瞬反発しようかとも思いました。
しかし、そこは持ち前の冷静さで怒りを表に出すことなく、にこやかな表情のまま、こうお返しました。
最近たまたま調子がよくて。普段は全然大したことないんですよ~。ボウリングは自分との戦いですから、コツコツとストライク・スペアを積み重ねるのみですね~。
あえて嫌な人に声をかけてみた
私は新しいボウリング場が気に入っていたので、そこで投げている常連さんとギクシャクしたくはありませんでした。
急にふっかけられた理不尽な言葉に対し、何とか怒りを表に出さずに済んだ私でしたが、
一方で、私が立て続けに優勝していることに常連さんが気を悪くしているのか、と少し心配するようになりました。
そこで私は、あえてその常連さんに声かけをしてみました。
・見かけたら「こんにちは」と挨拶をする。
・試合中にストライクやスペアを取ったら、「ナイスです」と声をかける。
・帰り際に「お疲れさまでした」「失礼します」と言う。
もちろん、けんかを売られた相手ですので快く声はかけられません。
しかし、そこは冷静に、他の方に対するのと同じように(むしろその方に対しては積極的に)声をかけたのです。
そんなことを意識していると、数週間たったある日、その方から声をかけられました。
今回はけんか口調ではなく、単なる挨拶と世間話をしに来たようです。
私ね、もう80歳なんだよ。なかなか体が思うように動かなくてね。昔はもっとうまく投げられていたんだけど。あんたみたいに若くて体が動くのがうらやましいわ。
正直、80歳という年齢には驚きました。若々しく見える方で、70歳くらいかと思っていましたので。
私は、「ご年齢を感じさせないボウリングをされているようにお見受けしますよ。」とお返ししておきました。
怒りは別の感情に由来する
ここまで、ボウリング場で初対面の常連さんにいきなりけんかを売られた話について書いてきました。
しかし、今振り返って考えると、この話は災難ではなく、むしろ人付き合いをする上でとても重要な教唆に富む体験だったのです。
それはつまりどういうことか。
君、若いのに点数出し過ぎだよ。よく考えてね。
当初常連さんが私にかけたこの言葉は、文字通り受け取ると攻撃的な意図が含まれる発言ですが、
実際のところ、その言葉が発せられた背景には、「思うようにボウリングができない」という自分への失望や悔しさがあったのです。
怒りに身を任せてけんかを売り返しても何もいいことはありません。
それどころか、素敵なボウリング場でのひとときを台無しにするだけです。
だからこそ私はあえてその方の話を聞き、相手の立場や感情に寄り添う姿勢を示しました。
また、「80歳とは思えない腕前ですね」と声をかけることで、相手の承認欲求※を満たすことができました。
※他人から認められたいという欲望
その結果、その後私が好成績を収めても、その方から嫌な言葉を聞くことはなくなりました。
そして私は気持ちよくボウリングに集中できています。
怒りとうまく付き合い、不要な対立を防げ
往々にして怒りの背景には別の感情があるものです。
それは悲しさであったり、寂しさであったり、悔しさであったり。
必ずしもあなたへの攻撃を意図したものではありません。
怒りの言葉を文字通りに受け取り売られたけんかを売り返すことは、互いの対立を深めるだけです。
逆に、相手の満たされない感情に目を向け共感することができれば、良好な人間関係の土台を築くチャンスにすることができるのです。
対立を深めるか、信頼につなげるか、この差は大違いですね。
また、自分自身に対しても同じことが言えます。
自分の中の怒りの感情をそのままにしておけば、自暴自棄な行為に走りかねません。
怒りの背景にある感情や問題に目を向けることで、自分の感情を制し、問題解決的な思考に切りかえることもできるのです。
喜怒哀楽と言われるように、怒りは人間の感情の重要な構成要素です。
怒りを避けて通ることはできませんが、その感情とどう向き合うかはあなた次第です。
読者の方が怒りとうまく付き合い、うっかり人生を棒に振ってしまった、なんてことがないよう願っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。みなさまの人生が彩りあるものになりますように。
とても深い内容で、その寛容な心の広さに本物の知性を感じます。私も今後はこうありたいものです。
畏れ多いお言葉、ありがとうございます(V_V)
アンガーマネージメントという心理教育があるようです。
それを知る前後で感情のコントロールの難易度が大きく変わりました。