ちょうど1年前、うつになった。
個人的な話で恐縮だが(個人ブログなのでご容赦いただきたい)、1年たったのを記念し、自己紹介も兼ねて当時を振り返ってみようと思う。
2021年うつになった話
記憶が定かではないが、2021年半ばから本業がとても忙しかった。
平日はご飯を食べ、睡眠を確保するのがやっと。
仕事中は緊張しっぱなしのことも多く、暑くもないのに脂汗で下着が湿る。
●●さんの治療方針はこれで大丈夫だろうか。
明日病状が回復せずにさらに悪化していたらどうしよう。
重症な人を担当することが多かったため、家に帰り床に就いた後も、そんな不安とともに眠る日々だった。
平日は目の前の仕事をやるだけで終わり、土日に雑務や次の仕事の準備をこなす日々。それらが終われば日曜の夕方5時。明日からまた多忙な1週間が始まる。
今週も余暇の時間なしか…
そんな日々が続いたある日。日勤をこなして家に帰った後、真夜中に患者さんの急変で呼び出され、徹夜で対応した。
しかし、患者さんの病状は回復せず死へむかうのみ。助けてくれとうめく患者さんと向き合っていると、気づいたら朝になっていた。
そういえば、今晩は当直。このままいけば、一睡もなく丸3日連続勤務か。
そんなことを考えていたとき、突如として何も考えられなくなった。
そして、一切のことがどうでもよくなった。
すべての興味と関心が焼け野原に
もともと欲が少ない方だったが、この日を機にあらゆる意欲や興味が失われた。
趣味への意欲。
何とか時間を捻出し健康のためにも続けていた趣味のボウリングも、全くやる気が起きなくなった。ボウリング場へ足を運んでみても、まるで楽しくない。いくらストライクが出ようとも、嫌な仕事をやらされているような気分にしかならなかった。
仕事への意欲。
仕事もどうでもよくなった。新しい知識を得る満足、必死に試行錯誤して問題を解決できたときの達成感、誰かに感謝される喜び、それら全てが失われた。
食欲、睡眠欲。
食欲がなくなった。うつ病の典型的な症状だ。朝昼晩何も食べなくてもまるでお腹が空かないので、さすがにこれではまずいと思い、パンをひときれ口に押し込んでいた。
夜は眠れない。疲労困憊なのに、頭がぼーっとするだけで眠くはならない。夜、体を休めるはずの時間は、不安と孤独にさいなまれる時間に変わった。
生きる意欲。
一時、生きる意欲自体をも失いかけていた。仕事中「患者の命がどうなろうとどうでもいい」、運転中「このまま事故を起こして死んでしまってもまあいいか」、そんな考えが頭によぎるようになった。
さすがにこれはまずいと思い、近くにいた精神科の看護師さんに相談した。
ふと頭に「日本における若年者の最大の死因は自殺である」という事実が浮かんだ。
自分は今、死の淵にいる。
もう一歩進んだら、後戻りできなくなるところまで来ていた。
死の淵で得たもの
当たり前のことだが、無理の上に成り立つ持続可能性はない。
人間、無理をしてがんばれるのは一時的だ。四六時中がんばり続けることはできない。
にもかかわらず、無理に無理を重ね自分を犠牲にしていた。
本来、自分自身は一番優先されるものだ。
しかし、平時にはそんなことを意識することはない。
そして、知らぬ間に自らに無理を強いて過剰な責任を負い、結果、責任を果たすことができなくなった。
それ以来、私は過剰な責任を負うのをやめることにした。
自分ができる範囲で、無理なく背負えるだけの責任を背負うようにした。
自分の身がもたなくなれば自分にできることは何もなくなる、ということを思い知ったからだ。
手前みそながら、何だかんだ「やればできる」自分だと思っている。
だからこそ、継続して価値を生み出し続けることができるように、せっかくの技能を台無しにしないように、
「やればできる」が無理はしない。できないことにはNOと言う。
これを基本路線とすることにした。
興味関心の焼け野原に芽生えたもの
相談した看護師さんや精神科の先生、上司、同僚の計らいもあり、その後しばらく職場に通いつつも仕事量を減らしてもらい過ごした。(本来は一時的に職務を離れるべきであったと思うが、幸い職場に支援者がおり、彼らに自身の経過観察をしてもらう意味でも頼ることにした。)
食事や睡眠など基礎的な生活習慣に対する興味は2週間程度で徐々に戻った。
また、大事に思う人への関心も比較的早期に回復した。家族、友人、同僚や上司、患者さんなど。死の淵から引き揚げてもらった人には感謝することこの上ない。
しかし、仕事と趣味に対する興味は半年たっても半分くらいにしか回復しなかった。
以前はあれだけ楽しく夢中になってやっていた仕事や趣味なのに、今となっては興味すらわかない。
なんともつらいことだが、これも自身に無理を強いた自分のせい。自業自得として受け入れることとした。
つらいことばかりかと思いきや、意外にいいこともあった。
興味のない仕事をやるしんどさを味わったがゆえに、これまで夢中に仕事に取り組めていた環境にいたことのありがたさを痛感した。
どこかの経営者も言っていたが、やはり仕事は楽しんでやるもののようだ。
また、色々な興味を失った一方で、これまでにはなかった新たな興味や価値観が芽生えてきた。
詳細は割愛するが、今後はこのとき芽生えた新たな可能性を育てることに注力しようと思う。
うつ入門まとめ
死の淵で得たもの。それは、無理の上に成り立つ持続可能性はない、という自明の理。
焼け野原に芽生えたもの。それは、新たな興味と新たな価値観、それから当たり前への感謝。
とにかく1年前はひどくつらい日々であったが、同時に貴重な経験となった。
地獄の淵に落ちている宝物もある。人生のターニングポイントとなりそうだ。
最後に
人生を彩るのは明るい色ばかりではない。
暗い色を背景にすると、明るい色がより目立つかもしれない。
人生を描くのに無駄な色などない。漆黒、なかなかいい色だと思う。
最後までお読みいただきありがとうございます。みなさまの人生が彩りあるものになりますように。
【注意】本記事の内容は個人の意見であり、一般論を示すものでもありません。個々の治療方針については主治医とご相談いただくようお願いします。