本記事は、筆者が主治医として関わるなかで、学び共感した価値観や人生観について記したものです。
今回お話をうかがったのは、70歳男性のDさん。
Dさんは、長らく田舎で自営業と農業を営み暮らしてきた、一見するとどこにでもいる「普通の人」です。私も当初は病気の話を聞こうと思ってDさんのもとへ伺いました。
しかし、そんな見た目とは裏腹に、Dさんは世界中に知り合いがいたのです!
田舎にいる「普通の人」が世界中の人と知り合うきっかけになったのは、Dさんのとある趣味のおかげでした。
アマチュア無線に没頭した青年期
Dさんは、社会人になった当初に某電機メーカーの工場で働いたことをきっかけに、長い間電器店を営むこととなりました。日々仕事に精を出す一方で、Dさんは趣味でアマチュア無線を始めました。今から50年も前のことです。
あまりご存じでない方のためにアマチュア無線について少し説明しておきましょう。
アマチュア無線は、趣味で行われる無線通信で、電波が届く範囲であればお互いに知らない人同士であっても「年齢・性別・職業・国籍」を越えて自由に交信できるコミュニケーションツールです。
無線でのおしゃべりはもちろんのこと、小さなトランシーバーでも電波の自動中継局を使用し、遠く離れた仲間と広範囲で安定した交信(レピータ交信)を楽しんだり、車などに無線機をセットして電波の飛びの良い野外に移動して交信(移動運用)を楽しんだり、インターネットを利用したデジタル通信を楽しんだり、相手との交信が成立したらお互いにQSLカード(交信証)を交換し、個性あふれるカードを収集する等の基本的な楽しみ方のほか、はるか遠くは南極や国際宇宙ステーションの宇宙飛行士との交信や、近年ではドローンでの空撮(FPV)などにも利用されており、アマチュア無線には携帯電話やメール、SNS等とは違った魅力があるのです。
一般財団法人 日本アマチュア無線振興協会HPより引用
アマチュア無線にのめりこんでいったDさんは、何と100万円以上するアンプをアメリカから輸入し、自宅横に電波塔を立ててしまったのです。その電波塔のおかげもあってか、自身の無線を通じて出先からも簡単に自宅の家族と連絡できていたと言います。
スマートフォンが普及した現代では「そんなの当たり前じゃん」と言われそうですね。
でも、当時はポケベルの全盛期、まだ携帯電話が普及する前だったわけですから、Dさんの生活スタイルが何十年も先の未来を先取りしたものであった点には驚かされます。
アマチュア無線を通じて得た世界中の人との出会い
アマチュア無線の魅力は出先から自宅に連絡できることにはとどまりません。
汎用のインターネットはおろか携帯電話もない時代に、Dさんはアマチュア無線を介して、自宅にいながら日本のみならず世界中のアマチュア無線愛好家たちと交流できたのです。
コールサイン(無線局を識別するための符号、電話番号のようなもの)の頭は国別のアルファベットが決まっていてね。それを使えば世界中の人と会話をすることができたんだよ。
娘夫婦が10年くらい海外に赴任していたこともあって、南米とアフリカ以外はだいたい旅行に行きました。もちろん旅行自体も楽しかったですが、いつも無線でやりとりしている仲間と世界各国で直接会えたのが特に楽しかったです。アマチュア無線をやっていなかったらそんな出会いはなかっただろうなと思うと、自分は本当に恵まれていたなと感じます。
現代においても、SNSでつながった人とオフ会を楽しむ人は多いですね。
私も最近、とあるSNSを通じて色々な方と知り合うことができました。普通に生活しているだけではまず出会えないだろうなというようなすごい経歴をお持ちの方も多数いらっしゃって、Web上で交流しているだけでも未知の世界を知れて勉強になるし、とても楽しいです。まだまだ顔も声も知らない人が多いですが、いつかリアルの世界で直接お会いすることができたらいいなと思います。
今さらですが、日本の片田舎にいながら世界中のいろんな人とリアルタイムにつながることができるインターネットの力は偉大だなと感じる今日この頃です。
行動力でつかみ取ったチャンス、めぐり合わせには感謝
これまでの人生を振り返って、どう思いますか?
私は、田舎の中では変わり者だったと思います。海外旅行のことなど、(話しても理解・共感してもらえないので)近所の人と話すことはありませんし。我ながらいい人生を生きることができたと思います。
成功の秘訣は何でしょう?
いい時代に生きたと思います。ご先祖様のおかげですね。
毎日先祖に花をたむけて感謝しています。
(それじゃ、答えになってないんだけどなあ。。。)
私から見れば、Dさんの人生は単なる時の運とは思えません。自分の意志を実際の行動に移し、周囲とは違う行動や生き方を恐れず貫き、人との出会いを大切にした賜物だろうとお見受けしました。
それでいてもなお「めぐりあわせに感謝です。」というDさんは、大変謙虚な方でした。
残りの人生、認知症とともにどう生きる?
私が前の主治医から診療を引き継いでかれこれ4年近くになりますが、その間にDさんは認知症と診断されました。
最近、人の名前を思い出しづらくなってきました。
私が見ても、お会いした当初に比べると言葉が出にくくなっているようにお見受けします。変化は数年で生じており、認知症の進行は遅いとは言えないでしょう。
「認知症とどう向き合っていくつもりですか?」と問うと、Dさんは案外あっけらかんとしていました。
(話し相手の)名前が出てこなくても、皆付き合いが長いので、「おい!(お前)」と言っておけば問題ありませんよ。
私の母親も晩年認知症でした。自分の命があと5年なのか10年なのかはわかりませんが、余生は穏やかに過ごしたいですね。
Dさんには娘3人に対し孫が8人もいるそうで、
孫はとてもかわいいんですが、名前はまるで覚えられません(笑)
今は、たまにする国内旅行が楽しみです。あと、孫がもうすぐ結婚するかもしれないので、ひ孫の顔を見るのを楽しみにしています。
ひ孫の名前も覚えられず家族に怒られながらも、たくさんの家族に囲まれひ孫を抱いて喜んでいるDさんの姿が目に浮かびました。
最後に、53年間の結婚生活継続の秘訣を聞きました。
家族を裏切らないこと、ですかね。
女房には隠し事をしてもすぐバレますし(笑)
自分の好奇心に対しても、他人に対しても、正直者のDさんなのでした。
最後までお読みいただきありがとうございます。みなさまの人生が彩りあるものになりますように。
【注意】本記事の内容は個別の症例に基づく個人の意見であり、全ての場合で同様の経過をたどるわけではなく、一般論を示すものでもありません。個々の治療方針については主治医とご相談いただくようお願いします。本記事掲載についてはインタビュイーの同意を得ていますが、個人情報保護の観点から個人を特定するような行為はくれぐれもご遠慮ください。また、インタビュイーへの配慮から批判的なコメントは掲載承認できない可能性があります。