こんにちは、るろうに健心です。
今回は私の失敗談についてお話しします。(あー、恥ずかしい!笑)
恋敗れた若者の衝動買い
それはまだ私が若かりし頃の話です。
社会人2年目のとき、私は職場の女性とお付き合いし、その後、彼女に別れを告げられました。
失恋に落ち込んだ私は、何を思ったか、さして車が好きなわけでもないのに500万円を超える外国車を購入しました。当時の身の上としてはかなり高価な買い物でした。
皆さん察しがつくとは思いますが、その魂胆はこうです。
振られた~(失恋した)。くそ~、悔しい、悲しい。
こうなったら、いい車にでも乗って、自分を振った彼女を見返してやるんだ!
いわゆる、若気の至りというやつですね。
「な~んだ、よくある話じゃないか。」と思われたかもしれません。
しかし、後に私はこの買い物から意外な教訓を得ることとなりました。
高級車をたたえる人はいるが、それに乗っている人をたたえる人はいない
さして車に詳しくない私にとっても、500万円もした外車には価格とブランドに見合う質の良さがありました。
それはすなわち、見た目の上品さ、走行時の安定性、シートや内装の質感、(当時としては先進的だった)自動走行システム搭載などです。
しかし、300万も出せば日本車でも同等の質は得られたでしょう。
若かりし頃の私は、その差額200万円の価値をブランドに見出そうとしました。
高級車に乗っていれば、周りから注目されて羨ましがられるに違いない。
そんな優越感を期待していたのです。
しかし、実際には高級車と言われるものに乗っていても特に誇れることはありませんでした。
むしろ、私にとっては「高級車に乗っている人」として見られることにどこか不快感すらありました。
せっかく大金はたいて買った車に乗っているのに、どうしてこんな感情を抱くのだろうか?
あれこれ考えた結果、私は以下の結論にたどり着きました。
いかに高級なものを身にまとおうとも、自分自身の価値が上がるわけではない。
ブランド品を身に着けようとも、高級車に乗ろうとも、大豪邸に住もうとも、
多少の見た目がよくなったとしても、人としての本質的な価値が上がるわけではないのです。
むしろ、身分不相応に高級なものを身にまとうのは、どこか滑稽な感じもしました。
高級車を買ったことで得られた意外な教訓
では、差額の200万円は無駄だったかというと、そうでもありません。
この200万円は私に下記の教訓をもたらしてくれたのです。
地位財※は、その所有者に絶対的な満足感を与えるものではない。
※地位財とは、他人に裕福さ・優越性をアピールするモノのことを指します。例えば、ブランド品のバッグや洋服、高級車、豪華で広い自宅などです。
こういったものは、得てしてそのモノ自体の価値ではなく、他者との優劣によってその価値が決まることが多いです。
つまり、知り合いがみんな大衆車に乗っている中で自分だけが持っている「500万円の高級車」であるならば価値は大きいですが、知り合いがみんな1000万円を超える高級車に乗っている中で自分だけが「500万円の高級車」に乗っていたとしても、感じる価値は小さくなってしまいます。
両者は本来同じ「500万円の高級車」であるにも関わらず、その価値は相対的な評価で変わってしまうのです。
時に、自分のパートナーの地位や年収を自慢しているような人もいると聞きますが、このような人にとってはパートナーさえも地位財としての側面を帯びていると言えるでしょう。
地位財に価値を見出す人は、周囲の環境の変化でそのモノから感じる価値が小さくなると、より大きな価値を得るべくより高額なモノを求め続けます。その結果、得られる満足感は大して変わりないにもかかわらず、費やすコストはどんどんと膨らんでいきます。
そして、気づいたときには地位財への支出で家計が圧迫され、自身にとって本当に必要なものに対価を払えなくなってしまいます。
資金が無限にある人は別として、限られた予算でより大きな満足を得ようとするならば、地位財とはある程度距離を置く方が賢明と言えるでしょう。
医師というステータスを求めた女性と、高級車のブランドに価値を見出そうとした私
地位財の話が長くなりましたが、ここで私の恋愛話に戻りましょう。
今思えば、当時お付き合いした女性は、「医師」というステータスに惹かれて私との交際に至っていました。特別に私の人柄や個性を好いていたわけではなかったのです。
(これは、後にこの女性の交際歴を知り確信したのですが、当時恋に浮かれていた私はそんなことはまるで考えてもいませんでした。彼女には素敵な一面もあり彼女のことを全否定するわけではありませんが、やはり「恋は盲目」です。自戒を込めて。)
「医師」というステータスを求めた女性。
そんな彼女に振られた挙句、「高級車」のブランドに価値を見出そうとした私。
この両者はどちらも、そのものの本質的な価値ではなく、表面的な要素しか見ていませんでした。何とも愚かで滑稽な話です。
若い頃の経験には計り知れない価値がある
今回は私の若い頃のくだらない話を書いてみました。(こんな話のために読者の皆様の貴重なお時間を奪ってしまったのは大変恐縮です。)
とは言え、今思い返すと、200万円の無駄遣いも、ステータスを求めた女性とのお付き合いも、いずれも私にとっては人生を豊かにしてくれた貴重な経験であったと感じます。
私は200万円という大金をはたいた結果、地位財との付き合い方やステータスばかりを求める女性がいるということを身をもって理解できたのです。その理解度たるや、単に人のお説教を聞いただけの状態とは大違いです。
今後同じような(もしくはより大きな)過ちを繰り返さずに済むことでしょう。
若い頃の経験には計り知れない価値があります。なぜなら、それは生涯を通じて指数関数的に恩恵をもたらしてくれるからです。
成功も失敗も、全ての経験がその後の人生の糧になります。
だからこそ、若い頃に経験を惜しんではいけません。
失敗を恐れて一歩踏み出さずにチャンスを逃す、
それこそが一番の失敗と言えるのではないでしょうか。
チャンスは二度三度とはやってきません。
恋に溺れた私の真似をしろとは言いませんが、ときには、舞い降りたチャンスにむかって盲目に突き進むのもまた一興と思います。
挑戦を続ける皆さんに幸あれ!
最後までお読みいただきありがとうございます。みなさまの人生が彩りあるものになりますように。