豊かになった現代人は時間を得たか?
あなたは、車や電車に乗れば30分もかからずにとなり街に行けます。
飛行機に乗れば、1日もあれば世界のどこへでも行けるでしょう。
掃除や洗濯といった家事は放っておいても勝手にロボットがしてくれます。
おいしいご飯を食べたいと思えば、配達アプリを何回かタッチするだけで、熱々の状態で玄関まで運んできてくれます。
スマートフォンがあれば、いつでもどこでも最新情報を知ることができるし、
リアルタイムで地球の裏側にいる人と会話やチャットを楽しむこともできます。
現代の生活はこれほどまでに豊かで便利になりました。
つい数十年前に、誰がこのような技術革新を予想できただろうでしょうか。
にもかかわらず、私たちは相変わらず日々時間に追われ、忙しく生活しています。
「時間がない」ことを理由に、自分がしたいことを後回しにしているのです。
なかには、日常に忙殺されるあまり自分がしたいことをあきらめてしまったり、さらにひどいと、したいこと自体を忘れてしまっている人さえいます。
しかし、いつかしようと思っていても、自分がしたかったことをできる日はいつまでたってもやっては来ません。
そうこうしているうちに、人は死を迎えます。
目標達成マインドの罠
何かの目標を達成するために、自分のしたいことを犠牲にしてでも一生懸命に努力する。
これは一般的には褒めたたえられる行いです。
しかし、この「目標達成マインド」は容赦なくあなたの自由な時間を削っていくでしょう。
また、目標を達成したとしても、必ずしも充実した気持ちを得られるとは限りません。
何かの目標を掲げコツコツがんばってきた人であれば、目標を達成した瞬間に自分が労力を捧げる対象を失うこととなります。
そんな空虚な状態を満たすため、人は次なる目標を設定します。
そうして、「目標を達成するためにがんばる →目標達成! →次の目標を立てる →再び目標を達成するためにがんばる →…」というサイクルを繰り返した結果、いつまでたっても自分のしたいことをするための自由な時間はやっては来ないのです。
生産性マインドの罠
常に生産的な活動をしなければいけない。
こういった思い込みにも注意が必要です。
勤勉な人ほど、職場においても家庭においても、色々な役割を担っています。
営業で売り上げを上げるにせよ、子供の面倒を見るにせよ、あなたが担っている役割は他者に対し何らかの付加価値を生み出す責任に他なりません。
その責任を意識しすぎるあまり、勤勉な人ほど、常に自分の時間を使って何かを生み出せないかと考えてしまうものです。
一方で、自分が本当にしたいことや楽しいことは、会社や家族、社会にとって大した貢献のないような、いわば「くだらない」活動であることも多いです。
いつも生産性のことばかり考えていては、生産性のない活動に時間を割くことをためらってしまいます。
その結果、無意識のうちに、自分のしたいことをしようという気持ちが薄れてしまうのです。
自分のしたいことをするためには、「生産性が全てではない」「自分が楽しければそれでいい」と割り切ることも必要でしょう。
私の生き方改革~目的意識を捨てよう~
私の本業は医業ですが、これまで地位や業績、名誉を追い求めたことは一度もありません。
私が本当にしたいことは、
- 自分のスキルを活かして誰かに喜んでもらうこと
- 仕事を通じて素敵な人と時間を共有すること
それで十分、というか、それが全てです。
一方で、社会的立場上24時間365日医師として価値創出を求められ、その期待に応えるべく、自分のやりたいことを押し殺し、日々最高効率で仕事を続けていました。
1年に10日もないわずかな休日さえも、仕事を円滑に行うべく、休むことに精を出していたのです。
そしてうつになり、自分を内観する時間を得たとき、私はふと気づきました。
私は仕事をするために生きているのではない。自分が豊かに生きるために医師という仕事を選んでいるだけだ。
医師として自分の健康や命を犠牲にしてまで価値を創出し続けるという行為は、本当に私の人生を豊かにするものだろうか。医業は自分のやりたい大切な行いだが、それはあくまで数ある大切なことのひとつに過ぎない。
その後あれこれ考えた結果、私は「目標を立て、それを達成するために日々最高効率で努力する」という生活スタイルをやめることにしました。
目的意識に追われて生きるのではなく、ありのままの「今」を感じ、そのとき気のむいたことをやるのです。
過密なスケジュール管理をやめ、スケジュールに余白を作る。
休日とは別に、1週間のうち何も予定がない日を確保する。
朝起きて思いついたことをやる。
そんな無計画で非生産的な1日を歓迎するのです。
(ただし、自分が本当にしたいことをするための目標や予定はきちんと立てて遂行します。)
するとどうでしょう。
スケジュールに余白を作ることで、これまで押し殺してきた「自分が本当にしたかったこと」が次々と浮かび上がってきました。
なかには想像だにしていないこともありました。
そこで私は、意識的に作った余白の時間を使い、「今」このときから、少しずつでも自分のやりたかったことを始めていきました。
こうした生き方改革を行った結果、ただがむしゃらに仕事に打ち込んできたこれまでとは一味違った充実感を味わえるようになりました。
「時間がない」のではなく、「時間を確保できていない」
あなたがやりたいことをできていないのは、忙しくて「時間がない」せいではありません。
実のところは、忙しさを言い訳にして、やりたいことをするための時間が確保できていない(または、確保しようとしていない)だけです。
人類皆等しく1日は24時間、1年は365日あります。
時間はある、のです。
それが自分の人生にとって本当に優先されるべき活動なのであれば、
例え緊急性がなかったとしても、「今」からその活動をするための時間を優先的に確保すべきです。
例え業績や収入、社会的貢献に結び付くものでなかったとしても、「今」からその活動を始めるのです。
人の一生は長くて4000週間、3万日と決まっています。
あまたの技術革新をもってしても、寿命の延長はそうたやすいものではありません。
あなたが40歳ならば既に人生の時間の半分以上が過ぎ去っていますし、60歳ならば残された人生はあと10%程度なのかもしれません。
残酷なことに、「今は時間がないから」と言い訳をして自分のしたいことをせずに過ぎ去った時間は、二度と戻って来ません。
私たちは日々着実に死にむかって歩み続けています。最期の日は明日かもしれないのです。
そうであるならば、やりたいことをやるのは「いつか」ではなく「今」です。
そうやって、一日一日を主体的に、一刻一秒を大切に生きることこそが、自分が望む人生を叶えることにつながると私は信じています。
いつか来るつらく苦しい死の淵においては、一生をかけて積み上げてきた幸せな思い出に浸り、苦痛をまぎらわしたいなと思います。
私を含む読者の皆様が、人生の最後で「あのとき●●しておけばよかった。」と後悔に浸ることがないことを願うばかりです。
最後までお読みいただきありがとうございます。みなさまの人生が彩りあるものになりますように。
【注意】本記事の内容は個人の意見であり、一般論を示すものでもありません。個々の人生設計については自分の本心とご相談いただくようお願いします。