プロが生み出す刹那の輝き~私たちは写真を撮っている場合ではない~

美しいものを見るとすぐに写真に収めようとする現代人

いきなりですが質問です。

あなたはなぜ写真を撮るのでしょうか?

SNSにアップするため?

後で見返してそのときの思い出にひたるため?

現代は便利な時代です。ポケットのスマホを取り出せば、たったの1秒でその場の景色を無限に写真に残すことができます。

しかも、その写真は永遠に色あせません。SNSに投稿すれば、世界中の人々と写真を共有することもできるでしょう。

しかし、少し振り返ってみてほしいのです。

写真や動画はその場の情景をきれいにデータに残してくれますが、収められるものには限りがあります。

SNSのことを考えて写真ばかり取っているうちに、何かもっと重要なものを見落としてはいないでしょうか。

あなたが見つけたすばらしいものは、その場所、その瞬間でしか感じられないような輝きを放っているかもしれません。

私はそういった写真には残せない感動を楽しむのが好きです。スマホやカメラは放っておいて、自分の感覚を研ぎ澄ませて特別な時間を味わうように心がけています。

具体的に、花火音楽料理の場合でお話ししてみましょう。

五感で楽しむ花火

みなさんは今年花火を見ましたか?

友達や家族でワイワイする花火大会も楽しいですが、私は、あえて少人数で花火を見に行くことが多いです。

それは、五感で花火を味わうためです。

特に、しーんとした夜空に1発目の花火が打ち上げられたときの波動や、

打ち上げ後に夏のムシムシした風に乗ってやってくる火薬のにおいが好きです。

こういったものに触れると、「ああ、夏が来たな。今年もきれいな花火を見られてよかった。」と実感します。

対して、プロのカメラマンが上手に撮った写真を見たとしても、こういった花火の臨場感を感じられたことはありません。

花火の真の魅力は、写真や動画では到底伝わらないのです。

みなさんも機会があれば、一度打ち上げ場所のすぐ近くで花火を鑑賞してみて下さい。

頭上の夜空に自分の視界いっぱいに広がる巨大な花火を見上げてみれば、花火が持つ真の魅力を感じることができるでしょう。

真上に打ち上がる花火を見上げていると、そのうち首が痛くなるかもしれません。

空から花火の燃えカスが降ってくるかもしれません。

しかし、そういったものさえも趣深いものです。

色を見て、音を聞いて、波動に触れて、においを嗅いで。

あれ?五感で楽しむと言っておきながら、「味わう」がないんじゃない?

そう思われた読者の方がいらっしゃるかもしれませんね。

心配ご無用。もちろん、花火にも味があります。

中学生のときに初めてできた彼女と一緒に行った花火大会。しかし、夏休みが開けて彼女とはお別れし、ひと夏の恋は秋空に散りました。花火はいつも甘酸っぱい味がするのです。

(と言いたいところですが、幸か不幸か、私にはそういった経験はありません。)

観客の心に共鳴するピアノの音色

先日、とあるピアニストのコンサートに行ってきました。

私はいつもその方の演奏をYouTubeで聞いているのですが、コンサートホールで聞く生演奏のピアノの音はまるで違うものでした。

大きなグランドピアノが生み出す音色は、ときには壮大に、ときには繊細に、ホールの隅々に響き渡り、

演奏者固有のリズム、強弱、パフォーマンス、演奏者間のハーモニー、観客が織り成す臨場感と相まって、一つの演奏を創り出していたのです。

そして、全身全霊で奏でられるプロの演奏は、その場に居合わせた観客の心に共鳴するものでした。

こういった感覚は、いくら上手な演奏であったとしても、YouTubeの動画を見ているだけでは到底伝わらないものです。

そのとき、その場所でしか感じられない感動がそこにあったのです。

「その瞬間にしか存在しない美味しさ」を創り続けるレストラン

東京に行く用事があると、とある麻布のレストランに立ち寄れないかと画策します。

そのレストランの理念は、「『その瞬間にしか存在しない美味しさ』を創り続けること」。

もちろん、料理はどれもおいしいです。素材のうまみが存分に引き出されていると同時に、添えられた素材や調味によって主役のよさがより際立っています。

しかし、驚くべきは味だけではありません。

いざ料理を食べてみると、全ての料理がそれぞれに異なった香りをまとっています。同じ料理であったとしても、食べているうちに香りが変わってくるものもあります。

触感も様々です。冷たいもの、温かいもの、固いもの、柔らかいもの、サクッとしたもの、グニョッとしたもの、フワフワなもの、とろけるようなもの。

そして、色々な見た目、素材、味、香り、触感の素材が混ざっていても、全体としてのバランスを崩すことなく絶妙な調和を織り成している点に脱帽します。

よくもここまで繊細に考え抜いて創意を凝らしたものだ。

料理を味わいながら、私はいつも心の中でシェフの努力をねぎらっています。

このレストランの料理のすばらしさは、美しい盛り付けや味もさることながら、香りや触感、食材たちのハーモニーにあると思います。

そして、それらは料理の写真を見るだけでは到底想像もできない驚きを食べる人に与えてくれます

まさに、そのときその場所でしか感じられない感動なのです。

ちなみに、私はそのレストランにはおしゃべりをしたい人とは行かないようにしています。

マナー云々の問題ではありませんよ。

なぜかというと、あまりに料理がすばらしく、料理を味わうことに集中するあまり同伴者と会話をするのを忘れてしまうからです。

みなさんも、足を運ばれる際は一緒に行く人に注意してくださいね。

刹那の輝きと一期一会を大切にしよう

プロが生み出す感動は、そのとき、その場所でしか感じられないものが多いです。

こういった感動は、いくら写真や動画が高品質になろうともメディアでは伝えられません。

もし、幸運にもそんな感動に出会えたとしたら、

あなたは写真を撮っている場合ではありません!

五感の全てと想像力を総動員して、一秒たりとも逃すことなくその感動を受け止めることに集中すべきです。

それこそが、プロの創作を楽しむ者の使命だと考えます。

インスタ映えもいいですが、刹那の輝きを大切にし、一期一会の出会いに感謝したいものですね。

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