医師の仕事は病気を見つけて治療することですが、病は治るものばかりではありません。
後遺症が残ったり、死を免れない不治の病であることもあります。
多くの場合において、「あなたは病気です」という言葉はbad newsです。
私は日常的にbad newsを伝えていますが、何度やっても、他人に悪い知らせを伝えるというのは気が引けます。
どのみち伝えないといけないのならば、
お互いにとって、その後がよりよくなるような伝え方を目指しましょう。
人はまずbad newsを否定する
bad newsを聞かされて、それを素直に受け入れる人は少ないでしょう。
特に、その病気が重ければ重いほど、自身に及ぼす影響が大きければ大きいほど、人はまずそれを否定します。
悪い知らせを遠ざけることで、自分を守ろうとするのです。
ときには、こちらの診断を否定したり、医療者に対し攻撃的になったりする方もい
悪い知らせを言ってくる人なんて、当事者にとっては悪者以外のなんでもないですからね。
こういった自己防衛的な反応はごく自然なものです。
この間はとにかく相手の訴えを聞き入れ、こちらには寄り添い助ける意思があることを伝え続けるほかありません。
それでもなお、関係性が悪いままの時間がしばらく続くこともあります。支援者としてはつらいときです。
bad newsを伝えた相手と戦ってはならない
仮にbad newsを伝えた相手がこちらに対し攻撃的な反応をしてきたとしても、
決してこちらも戦いを挑むことはあってはなりません。
相手に悪意はなく、生理的な反応だからです。
しかしながら、この段階においてお互いの信頼関係を損ねてしまうケースを散見します。
bad newsを伝えた方も人間です。
相手の攻撃的な反応にそのまま反応し、本来助けようとした相手に対し攻撃的になってしまうのです。
こうなってしまうと、両者の間には不信感や敵対心が募り、
協力的な関係を築くことができないまま、いつしか関係性が終わってしまいます。
こんなケースを見ると、私はこう思ってしまいます。
お互いに、何とももったいないことをしているな〜
bad newsを伝えられた相手は、まずそれを否定することから始める。
ときにはそれを伝えた人が否定されることもある。
人がbad newsを受け入れ前を向く瞬間
そういったつらい時間に耐えていると、あるとき、その人がbad newsを受け入れ前を向く瞬間がやってきます。
これまでこちらの言うことを否定していた人が、あるときを境に何かを悟ったかのように素直になり、こちらの言うことを聞き入れてくれるようになるのです。
このとき私は、それまでとは診察室の空気がガラリと変わるのを感じます。
そして、支援者としての苦労が報われたような安堵が訪れます。
私が主治医を担当していてよかったと思う瞬間のひとつですね。
支援者冥利に尽きる、とも言えるでしょうか。
言うまでもなく、その後は治療はスムーズに進みます。
もちろん、病が治るかどうかは場合によりますが、人間関係の余計ないざこざが起こることはなくなります。
伝え方よりも、それを受け入れるまでの過程が大切
bad newsを伝えるにあたっては、相手にどのように告知するのがよいか、という点にフォーカスされることが多いです。
いつ?どこで?誰と?どのような話の流れで?伝えるときの言葉選びは?等々ですね。
しかし、私は、告知の仕方自体にはあまり本質的な重要性はないように感じます。
それ以上に、
相手がbad newsを受け入れるまでのお互いにつらい時間を、
いかに相手との信頼関係を保ちながら乗り越えるか、が大事です。
それこそが、ときに解決しえないように思える問題をも解決に導く一歩になるからです。
みなさんにもいずれ、誰かにbad newsを伝えなくてはならないときが訪れるでしょう。
- パートナーに別れを告げるとき
- これまでともに戦ってきた部下に左遷の辞令を伝えるとき
相手を案じ、その後も後悔のない人生を歩んでほしいと考えるのであれば、
相手がbad newsを受け入れてくれるまで我慢強く寄り添っていく姿勢が必要です。
人生、山あり谷あり。
避けては通れない悪い知らせもあるでしょうが、
悲しみに暮れている間にも等しく人生は過ぎていきます。
悪い知らせも受け入れて、その後の人生をどう歩むのか
ということに目を向けられるようになるといいですよね。
bad newsに落ち込む誰かを、前を向いて歩きだすよう仕向けられるのは、
隣にいるあなたなのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございます。みなさまの人生が彩りあるものになりますように。
【注意】本記事の内容は個人の意見であり、一般論を示すものでもありません。個々の治療方針については主治医とご相談いただくようお願いします。
癌の治療で、
抗癌剤を勧める主治医と折り合わず、違う医師につき、免疫療法を試みている人、
キッパリと手術は拒否し、放射線治療を受け数年たった人
(二人とももと大学の教員)
インテリほど自分なりの考えや情報量も多いので選択肢が広がる。
私の老母はそう言えば、迷うことなくお医者様の治療方針を完全な信頼の中、安心して受けていたなぁと。無垢で無知で素直ゆえの穏やかな安らぎ。そういう老母が愛おしい。
インテリは病に対して闘い、母のような人はすべてを丸ごと受け入れる。
そのどちらにも所属しない私は近頃、母の感性に惹かれている。
西村様
誰かを信じて進めるというのはうらやましいことですね。
私などは、ついつい何かと勘ぐってしまい、自分が納得できないと意固地になることもあります。
一方で、最期まで自分の意思を通すことができるのもまた恵まれたことかと。
自分の意思を持ちつつも、自分が不得意な領域では他人を頼れる姿勢を忘れないようにしたいと思います。